
「ほぼ日手帳」という手帳を
使っているのですが。
「ほぼ日刊イトイ新聞」という
Twitterのアカウントがあります。
いつも楽しみに読んでいるのですが
今日のツイートにはビックリしました!
「絶対音感はほとんどの人が持っていた…」えっ!?
元のツイートへリンクはりますね。
お話は
東京大学薬学部教授の池谷裕二(いけがや ゆうじ)先生。
詳しくはリンクをたどって読んでいただけたらと思いますが
ざっと要約してみると
絶対音感は、赤ちゃんはもっているもの
↓
その能力を成長過程で捨てていってしまう
意識にのぼらないだけでなく、積極的に活用しないようにあえて蓋をするような
↓
絶対音感を捨てたようにみえる大人の脳の中にも、まだ絶対音感を感じている領域が存在している
↓
絶対音感があると暮らしていくのに多少不便がある
どんな音やコトバにもある音程にいちいち反応しないために人間は絶対音感を捨てた
リンクたどって
ぜひ、先生のじかのコトバ、読んでくださいね
(私の要約がしっかりしている自信がないので…)
読んで、唸ってしまいました。
そうか、そういうことだったのか…と…
よく
「絶対音感がある」と言うと
世間の人々は「じゃ、これは何の音?」って手近にあるものを叩いて音程を問うてくるんですよね…
もちろん
その音程が聞こえる方もいらっしゃいますが
音楽をやってて絶対音感がある人には
あくまでも叩く音は叩く音としてしか聞こえず
ガラスの割れる音も割れる音としてしか聞こえず…
そういう感じの方は多いと思うんです。
でも
例えば電車の発車ベルとか
お店に入った時のメロディとか
テレビ番組のCMに入る時の短いメロディとか
そういうものはれっきとした「音程」として耳に入ってくる
そういう方が多いと思うんです。
(↑私、これです。音程のあるものは基本頭の中で全てドレミに変換されます)
これは。
人間の成長過程で
ある程度捨てた能力だったんだ…と。
生きやすくするために…
正直
何でも音程に変換してしまうと
疲れますよね(;^ω^)日常生活というものが。
それを
そこそこ快適に生活できるように(先生の直接の文書、ぜひお読みください)
成長の過程で捨てていく…
なるほど。
音楽を指導していく中でも
やはり「耳の育つ年齢」というのはあるので
できるだけ小さいうちから音感トレーニング的な要素は取り入れます
逆に小さいうちじゃないと育たない。
…小さいうちじゃないと育たない、というよりも
成長の過程で捨てきってしまうまでの間に
音楽に必要な音感だけは
捨てないで自分で持っていようよ
それが何なのか
自分で認識できるように
音感と知識を結び付けていこうよ…
ってことなんだな、と。
出張レッスンに向かう電車の中で
このツイートからリンクをたどって
先生のお話を読んでいたのですが
唸りました。ものすごく。
マスクをしていなかったら
相当変な顔してたのが
露呈しちゃってただろうな(;^ω^)
(乾燥対策で電車の中ではマスクしてることが多い私です)
忘れないように
自分の知識としてしっかり記憶できるように。
ブログに書いてみました。